角福銘は角形の枠取りの中に「福」字の銘が入った品です。
この点は角福印に同じですが角福銘の場合は二重線の角枠のことが多いです。
中国磁器の影響により1630年代ごろから有田の作品に現れ始めました。吉祥を意味する銘款の一つで、とくに窯場や作者を示すものではなく、肥前の各窯場で自由に用いられてきました。
初期のものは篆書体の「福」字で、印のサイズは一般的に小さいものが中心です。1650年代になると銘款は大きいものが増え、一重の枠取りもみられるようになりました。
1670年代から80年代になると草書体になり、旁の田の字が渦を巻く「渦福銘」という銘が出現しました。
角福銘は柿右衛門窯から多く出土しており、伝世品も上手のものが多いことが特徴です。このため酒井田柿右衛門の銘款と考えられる風潮がありますが実際は肥前のさまざまな窯でこの銘款が用いられています。
渦福の描き方も丁寧なものから粗雑なものまであり、作品自体の文様の表現や成形などの技術にも各窯ごとに差がみられるようになりました。
また18世紀になると渦福は除々に粗略な描き方に変化し、18世紀後半にはほとんど姿を消します。1800年ごろになると「福」字の田の部分が×印の書体が現れました。
明治18年(1885年)には、渦福の角福銘を11代酒井田柿右衛門が商標登録し、以後、渦福銘のあるものは柿右衛門窯の作品を意味するようになります。
しかし、帝国窯業の小畑秀吉の出資を受けて大正8年(1919)に設立した柿右衛門焼合資会社を、12代柿右衛門が昭和3年(1928)に離れたことから以後、角福銘は柿右衛門家では使えなくなり、「柿右衛門作」の銘を用いました。
このことから昭和3年から昭和44年までの柿右衛門は、合資会社による角福銘の作品と、柿右衛門窯による「柿右衛門作」銘の作品とを平行して作っていた時期であったと判ります。
同年に角福銘は合資会社から柿右衛門窯へ返還されましたが、その後使われることはなくなったため、現存する角福銘の器は多様かつお査定の結果も千差万別となり、どこで作られた器かを特定することは、実際にお品物がどのようなものかを拝見しなければ難しくなっております。
このように「木の箱に入った古いもの」の中には、時代のうねりと共に変化しながら遺されてきた「角福銘」のようないきさつがあり、器について学んできた者にとっても鑑別がむずかしい銘つきの陶磁器が含まれることがありますゆえ、簡単に捨ててしまわず、まずは大事にお持ちいただき、しまい込まず、試しに普段のテーブルに、食洗器にはかけず、中性洗剤をなるべく使わない洗い方で日常的にお使いになられてみる事をお勧めいたします。
どのような古いものも使うことで息を吹き返します。
特に共箱という木の箱がついている場合には、箱も大切にとっておかれることが貴重なお品物を守る手だてになります。
といった場合にも、いわの美術では一軒一軒を大切にお話合いいたします。
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